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いながわ名所八景-多田銀銅山
多田銀銅山は平成27年(2015年)に国史跡 に指定され、近代化産業遺産にも認定されています。多田銀銅山の案内施設「多田銀銅山悠久の館」では、多田銀銅山にまつわる絵図や古文書、鉱山道具などの資料の展示や、鉱石の重さを体験することができます。鉱山の歴史を学びながら、銀山地区を散策してみませんか!
みどころ①悠久広場
現在は芝生がひかれ、お弁当を食べるのにちょうどいいテーブルや歩き疲れた時に休憩できるベンチが整備されていますが、明治40年頃、ここは製錬所でした。その面影を残す機械選鉱場のレンガ構造物を見ることができます。
みどころ②青木間歩(まぶ)
青木間歩は自由に入り見学することができます。機械掘りで、全長52m。坑道内の天上の一部で鉱脈を見ることができます。青木間歩の横にある道を上がれば、江戸時代の手掘りの跡が残っています。見学時間は9時-17時まで(年末年始を除く)。
ハイキングコース
多田銀銅山は歴史街道及び近畿自然歩道のコース上にあり、絶好のハイキングコースになっています。多田銀銅山の詳しいパンフレットは悠久の館にあります。四季を通じてのどかな雰囲気と歴史・浪漫を味わいながらハイキングを楽しんでみてはいかがでしょうか。
多田銀銅山ゆかりの有名人
多田銀銅山には歴史上の有名人が訪れています。
平安時代:
源満仲 912年?-997年
平安中期の武将。清和源氏の祖。摂津国多田を本拠地として、多田院(現多田神社)を創建、多田荘を開発した。銀山には、973年金瀬太郎が銀を採掘し、満仲に献上したという伝承がある(多田五代紀)。
安土桃山時代:
豊臣秀吉 1537年-1598年
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田信長に仕え、信長の死後、天下を統一する。大坂城の財政を潤した台所間歩や、千成瓢箪の馬印を入口に立てて採掘した瓢箪間歩など、秀吉ゆかりの坑道が今も残されている。
江戸時代:
井原西鶴 1642年-1693年
江戸時代の浮世草子作家・俳人。代表作は「好色一代男」
「日本永代蔵」1688年発刊の「日本永代蔵」に多田銀銅山の屏風絵を婚礼の品として描かせる話が出てくる。当時、多田銀銅山が全国的に知られていたことがわかる。
平賀源内 1728年-1779年
発明家・文芸家・本草家・起業家・鉱山家など様々な分野で活躍した。1772年、長崎遊学の帰りに立ち寄り、現地で水抜普請を行うが、産出量の減少を止めることはできなかった。